2/17 午前9:00起床。
家に着いた時に寝ていたヨギの奥さんと初対面。とても感じの良さそうな方だった。ヨギの子供のピクにも挨拶することができた。ピクはラジコンが好きだという情報をヨギからもらい、日本で買ってきてあった。早速ピクにラジコンをあげるととても喜んでくれた。
[壊さないようにと散々注意したが、そのハンマー2という小さいトラックは階段に突っ込み、二度と動かなくなった。]
ヨギの奥さんにはホットアイマスクや顔のパックなどの美容品を、ヨギには外国人学習者向けの日本語のテキストをあげた。喜んでくれているといい。
その後歯磨きをしてお風呂に入った。シャワーはお湯は愚か水も出ない。しかしヨギはどこかでお湯を汲んできてくれた。そう、どこかで。バケツに入ったお湯を頭から被り、汗を流した。郷に入っては郷に従え。そう自分自身に言い聞かした。
そして朝ごはんの時間である。インドの伝統料理はどのような味がするか不安だった。これは去年の夏にフィリピンで一ヶ月暮らした時に、現地の料理が口に合わず、アメリカンハンバーガーを毎日食べ続ける羽目になったことが記憶に残っているからだ。
[右上の茶色い物がピクルスで、左上にあるのがラッシー]
とても美味しかった。私は食べるのが遅いのか、好きじゃないなら残してくれと言われたが、そんなことはなかった。ピクルスは私が大好きな梅干しの味がしてとても美味しかった。
ヨギは再び家を案内してくれた。家は3階建で、一階にはヨギの両親の部屋がある。両親共、病気でベットの上での生活が続いているという。しかし2人とも歓迎してくれた。ヒンドゥー式の挨拶に戸惑ったが、身を任して笑顔でいることで乗り切ることができた。また後日ヒンドゥー教のことを教えてくれるらしい。
二階には私専用の部屋と家族が暮らす部屋がある。ホストファミリー3人とも一つの部屋で暮らすことになったのは私が一つの大きな部屋を占領しているからだろうか。
[一ヶ月住むことになった私の部屋:とても綺麗で広い]
3階は屋上の形をとっており、景色がいい。
[3階からの景色]
その後バイクに二人乗りをして村を回った。この村はとても田舎で、外国人がこの村に訪れたのは私が初めてらしい。なにか名誉なことだとも感じた。しかし、私を見るや否やこの村の人は爆笑し始める。ヨギは必死そうにインド人は驚くと笑うんだ、と説明してくれたが、きっとそういうことではない。
[村の中学校でバレーボールをする村人たち]
[チャーエー屋さんから見た村の景色]
しかしデリーのような都市とは違って、このくらいの田舎では、外国人は騙す対象でも収入源でもなく、もてなしの対象らしい。あちらこちらで、日本人だ!写真を撮ってくれ!と言われ撮り続けた。みかんをくれたりした。日本人だということもあるのか、もてなしは手厚いものだった。
そして、なぜか村にある学校の卒業式のスペシャルゲストとして呼ばれる羽目になった。100人ほどの生徒の前で、インドの音楽に合わせて踊れ、と言われてその通りにした。盛り上がってくれたことを願うばかりである。
[スポーツアカデミーの卒業式で踊らされる私(右)]
夕方の16時、家に帰ってランチタイム。これも美味しかった。
[インドの伝統料理(名前は忘れた):とても美味しかった。日本でよく行ったインド料理屋とは全く違う味がした。インドをより好きになった気がする。]
22時、ディナー
ご飯を食べている最中にヨギがずっとイスラム教はテロリストだ、と繰り返すのでご飯の味がしなかった。スパイシーなはずなのに。なにも感じなかった。写真を撮るのも忘れた。寝る。